Dinde d'Inde




 「大体なんでよりによってこんな日に俺が夜勤なんだ…!」

教皇宮の夜勤詰め所で、アイオリアは虚しく獅子の雄叫びをあげていた。復活祭の土曜日の晩である。


 そもそも、「待機」やじっとどこかに「詰める」という動作が苦手な獅子である。しかも朝型の彼は、もう既に、軽い眠気を催しており、夜勤詰め所の長い夜に耐えられそうになかった。

「う〜〜、腹が減った…」

苦しげに机に突っ伏して伸びた獅子座。百獣の王も形無しである。

(…飯を食おうにも…食ったら絶対寝てしまう…!)


 そう、祝日の夜勤は日勤とセットの終日宿直制なので、特に勤務中寝てはいけないわけではないのだが、一応の目安として23時までの就業規定がある。

「う〜〜、眠い」

「だが勤務中に寝るなど…男として認めん!!」

「そうだ!今のうちに宿直日誌を書こう!」

盛んに独り言を言いながら、漸く方向性の定まった獅子は、詰め所の棚から一冊のノートを取り出した。



 ノートをひらひら捲って、何も書かれていない頁に行き着く。見開きの隣の頁には昨日の日付の日誌が、端正な文字で書かれてあった。


 『某月某日/金曜日/薄曇、宿直者・山羊座のシュラ』

朝引き継ぎで出会ったので、アイオリアは知っていたが、昨日の宿直は山羊座のシュラであった。

「相変わらず、神経質そうな字…」

思わず指で辿ると、書いている最中の彼の真剣な表情が、思い浮かぶようだ。

『深夜に某所より教皇代理宛に電話有り。詳細別記。祝日明けに再度連絡要。

宿直室トイレの電球が切れた為、交換。』

申し送りの欄にも整然と並んだギリシア文字。些細なことも律儀に書いてあるのが、何だか可笑しかった。



 「復活祭おめでとうって、言えなかったな…」

短い日誌の文字を何度も目で辿りながら獅子座は、引き継ぎのときの山羊との会話を思い出した。


 (元気なさそうだったのに…)

復活祭の挨拶どころか、何も云えず。

「何かありましたか?」

「否、特に何も…」

静かに答えた山羊座の背中が朝日に吸い込まれるように消えていくのを、ただ見送るしかなかった今朝のひとときを思い出して、獅子は溜め息をついた。



 何だかやるせない気分になって、日誌を手に、宿直室の寝台に横になる。目を閉じると山羊座の、漆黒の瞳を想い出した。

(好きだったのにな…)

あのときも、むしろ今でも。

(また、痩せたかもしれないな…)

逞しくなった自分に背を向けて朝日に消えた彼の、痩せた背中。ずっと昔に抱き合った夜の、背骨の感触が甦って、胸が痛んだ。




 「ここを開けたまえ、獅子よ!…眠っているのか?」




 乱暴に扉を叩く音と自分を呼ぶ声に我に帰ると、いつの間にか自分は寝ていたようだった。

「獅子よ!起きたまえ!」

(シャカ…?)

扉の外の声は、聞き知った恋人のものだ。どうやら少々お怒りらしい。


 「…ああ、シャカ悪い、寝てたわ」

扉を開けようと寝台から漸々起き上がりながら、寝起きの獅子は扉の方へ歩き出す。

「云わずともお見通しだ…!」

扉を開けると、乙女座の幼馴染みが、大荷物を抱えて立っていた。

「お前、2、3日インドに戻るとか言ってたんじゃなかったか?」

自分が今日の宿直を押し付けられた一因には、恋人の不在もあったのだ。

「君が腹を空かせていると思ったから、戻って来たのだ。持ちたまえよ」

問答無用な乙女座の恋人から荷物を受け取ると、彼が抱えていた紙包みは、ほんのり温かかった。

「シャカ、何だこれ…」

寝起きの頭で恋人に問うと、恋人は有無を云わせず、抱きついてきた。

「ばか獅子…」

寝癖でくしゃくしゃになっている、金茶の巻き毛の、後頭部を掴む、細い指。

「こら、お前…」

言ってることとやってることが違うだろう、と言いかけて、獅子は口を噤んだ。


 (…泣いてる?)

こちらをきっと睨んだ乙女座の碧い瞳は確かに潤んでいた。

「…どうした、シャカ?」

乙女座を離すわけにもいかず、かと言って荷物を下ろすにも乙女座を振り払わねばならず、獅子が困り果てていると、乙女座が自ら口を開いた。



 「…彼に逢ったのだろう?」

乙女座は誰、とはっきりは言わなかったけれど、獅子座には分かってしまった。

(妬いてるのか…?)

あまりからかうと、シャカはときどき突拍子もないことを仕出かすので、獅子は優しく問うた。

「彼って?」

「…あの男のことだ」

分かっている癖に、と、獅子に抱きついたまま、シャカは唇を噛む。

「莫迦、何でもない、ただの引き継ぎだよ」

嫉妬で今にも泣き出しそうな乙女座が可愛くて、獅子座は抱きしめて撫でてやりたいと思うのだが、どうにも荷物が邪魔で身動きが取れない。

(困ったな…)

そうこうしているうちに、乙女座は感極まって嗚咽を上げ始めた。


 「シャカ…ちょっと離してくれないか…?」

しばらくその体勢のまま頑張っていたのだが、さすがに腕が痺れてきて、獅子座は遂に根を上げた。

「……」

無言で身体を離した乙女座の髪が揺れて、獅子座の頬をくすぐった。



 「シャカ…」

怠くなった腕の、力を振り絞って抱き寄せた、幼馴染みの華奢な躯。

「あの人とは、もう、何でもないから…」

言ってしまった後で、一抹の淋しさが胸に込み上げるのは、不可抗力だと思う。




 (男って、本当にどうしようもない生き物だな…)

そのまま寝台に傾れ込んで、肌を合わせた後、獅子座は溜め息をついた。どちらかというと、飛び掛かってきたのは恋人の方なのだが。

(…情けない)

乙女座は、と云えば、さっきの涙は何処へやら。すっかり機嫌を直して自分の持ってきた包みを開けるところである。


 「…ところでシャカ、それは何だ?」

思わず訊ねる獅子座に、シャカは大皿に乗った鳥の丸焼きを持ってきた。

「君が腹を空かせていると思って、持ってきたのだよ」

「…ありがとう」

面食らった獅子は、若干引き攣った顔で礼を言う。

「…やけにでかい鶏だな」

「鶏ではない。七面鳥だ」

君たちの宗教では、祝日には、七面鳥を食べる習わしなのだろう?と、シャカは得意げに言った。

(…それは感謝祭かクリスマスの間違いでは…?)

アイオリアは突っ込みたかったが、盛大にお腹が鳴ったので、何も云わずにおいた。(因みに、兄以外の家族とほとんど関わりのなかった彼自身は、実際には正教徒でもなく、割りと生粋の女神信者である。)



 「シャカ、これ、どうしたんだ?」

七面鳥の丸焼きをオーヴンで温めなおそうと、教皇の間のサガの居間に移動した二人は、オーヴンが温まるのを待っていた。

「…インドから持ってきた、ということにしておきたまえよ」

確かに乙女座の言う通り、七面鳥からは、香ばしいスパイスの良い香りがした。

(こいつが作ったのかもな…)

予定では、昨晩から発つと言っていたが、この様子では、インドには帰らなかったようだ。

「何にしろ、ありがとうな…」

本当に腹減ってたから助かるよ。獅子は、はにかんだ微笑みを浮かべて、シャカの髪を撫でた。



 (…君が、彼のことを想うから)

不安になったのだと云えない乙女座は俯いたまま、獅子の肩に躯を預けた。




 匂いを逃がす為に開け放した窓からは、明け方の冷たい空気と、暁の紫の光が入り込んで、二人を包んだ。








2008/4/27, Rei @ Identikal



dinde d'Inde=「インドから来た七面鳥」の意味。発音が可愛いのでtitleにしましたが、あまり深い意味はありません。

page nameの"Here's all about polygamous wild turkish turkeys."は、「一夫多妻のトルコ産野生の七面鳥のすべて」。これも語感重視で。

一夫多妻…乙女は嫉妬深いと可愛いと思います。