Dans la Fumeux Fumee
紫煙のなかで
初めて肌を合わせたあの冬の日から
気がつけば数年
こうやって、一緒にいるようになって
吸い始めた煙草が、いつの間にか指に馴染んでいた
触れるだけで赤く痕を残す脆弱な肌の
冷たい感触
見かけよりもずっと柔らかい、銀の髪
怜悧な銀灰の瞳
氷を思わせる
夏生まれのはずのあいつからはいつも
煙草と
冬の匂いがした
命を削るに似た行為
自宮をしばらく空けていたシュラが磨羯宮に戻ると、デスマスクが出迎えた。怨念の棲処である自宮を誇りはしても、内心居心地悪く感じている蟹座が主人の許可なくこの宮に居座るのは、決して珍しいことではない。
「よぉ、久しぶり」
明らかに宮の主を待っていたのであろう蟹座は、どこに行っていたんだと訊かない。そんなことを、訊ねるような仲ではない。今も、最近聖域内にいるはずなのに留守がちな宮の主に、何も云わない。
「…おい」
いきなりこれかと、少しは慣れた山羊座でさえ呆れるほど脈絡を欠いて。
突然始まる接吻。
なし崩しに始まった行為は、それでも穏やかだった。身体が慣れた通りに動いていく。その流れに自然に呑み込まれる。
「…おい…」
山羊座が声を上げた。向かい合って、身を屈めて山羊座に口で奉仕していたデスマスクが、俄に唇を離したからだ。心持ち体を起こした彼は、勃ち上がった山羊座を数度扱いて、迸るものをその指に取って、持ち主の唇に運ぶ。
「…何をする…?」
面食らう山羊座に蟹座は薄い唇を笑みの形にする。
「旨いか?」
至近距離で、赤い瞳を縁取る銀色の睫毛が揺れて、笑わない眼は逸らされたままだったが、ひどく艶っぽいとシュラは思った。そんなシュラの視線を、銀髪の蟹座の、長い指が遮る。
「…?…」
鼻先に、先ほど自分が舐めた指を押し付けられて。
戸惑っていると蟹座が耳元に覆いかぶさるように唇を寄せて、囁かれる言葉。
「乳臭ぇ、餓鬼の匂いがする」
一言。
それで、十分だった。
知っているのだ。
何故だか分からない。だが、彼は「知っている」のだ。
そう思い当たった瞬間、ざわつく胸のうち。
「おい、シュラ」
もっと近くへ。
両手首を掴んだデスマスクの手は力強くて。
居間の絨毯に押し倒される、その手つきは鮮やかで、でも優しくて。
ゆっくりと墜ちて行く瞬間、濃い金茶の睫に縁取られた、潤んだ琥珀の瞳が脳裏に浮かんで消えた。
強請られるまま、いつも通りに続いていく行為は、いつもとは違う緊張を孕んでいた。
その営みは、どこか、命を削るに似て。
それは愚かな惰性
明け方の空を睨んで、紫煙をくゆらせる男の後ろ姿が見えた。
「起きていたのか」
薄暗い屋根裏部屋で。低い天井に少々身を屈めて壁に寄りかかった彼がこちらを振り向いた。
「ああ」
大丈夫か?と、男は寝台の上のシュラに、近づいて来る。
「…えらく気を遣うんだな」
「まぁな」
昨夜抱かれたのは自分だった。いつもは固めて立たせている銀髪が、下ろされているのが、何か新鮮な気がした。
「吸うか?」
2本目の煙草に手を伸ばす彼が、火を勧めてくる。
「ああ」
手を伸ばした自分の腕を、乱暴に掴んだ男が、空いたもう片方の手で、背中に触れる。
「爪痕がついてるぜ、色男」
掴んだ腕を引っ張られ、背中を朝日に向けられる。最低だ、と、思うのはいつもこんなとき。
「随分ご執心だな」
誰に、とは、決して云わない。穏やかな口調で。
「ほら」
背中に回していた手を放して、持っていた煙草を山羊座のくちびるに挿し入れる。その指で頬に触れて。
「お前、俺と切れる気はないのな」
軽い調子で呟いた蟹座に、シュラははっとなった。
いつもはほとんど吸わない煙草を、彼といるときは何故か吸ってしまう。
同じように、普段はいなくても気にならない彼と、逢う度に肌を合わせてしまう。
それは、自分の意志と言うよりは、惰性に似た習い性だった。
「俺的には、惰性でも何でも構わねぇけどな」
吐き捨てるように言った蟹座は、視線を合わせない。愚かなのは、山羊座でも獅子座でもなく、惰性に縋ってでもそばにいる立場を手放したくない自分なのだ。
背を向けた蟹座の視線の先。窓の外には今年初めての、粉雪が舞っていた。
シュラは、広い背中が窓に吸い寄せられて行くのを見ていた。煙草を口から離してひとつ、溜め息をついて。
蟹座のくれた煙を大きく吸い込む。そして、未だいくらか眠気の残る頭で、窓越しの朝日に溶けそうな銀髪は、雪が似合うだろうと思った。
分かっているのに止められない
あのときとよく似た、雨の夜だった。
雨の夜はなかなか寝付けなくて。
いつものようにふらふらと外へ出た。
暗闇を埋め尽くす雨だれの音。
俺はいつもよりずっと独りで。
あの人と、俺の罪の沈む、あの谷へ向かった。
先客がいた。
谷の底を睨んだまま、傘も差さず静かに、雨に打たれていた。
暗闇でよく色が分からないけれど、稲妻に浮かび上がる、濡れた巻き毛の少年。
あの人が、帰ってきたかと思った。
「…何をしている」
驚きを隠せないまま、思わずきつい口調で放った言葉。
「…シュラ」
突然我返ったように、身を竦めた若い獅子は震えていた。
寒さから身を庇うように自分の肩を抱いて。
「…寒いよ…」
凍える彼の肩を抱いて、彼の宮に連れ帰った。
もう大丈夫だと、タオルで拭き上げて。
気がつけば抱きしめて肌を嗅いでいた。
日焼けから褪めようとする、小麦色の肌は未だ、太陽の匂いがして。
彼は、あの人じゃない。
あの人は、こんなことは望まない。
それどころか、きっと、嘆き憎むだろう。
全部分かっていて。
「シュラ、寒いよ…」
もう一度呟いて自分の胸に凭れてきた彼を、拒めるはずもなく。
濡れたままの上着を脱いで、直に肌を合わせた。
冬の弱い日差しにも柔らかく透ける金茶の巻き毛と、琥珀色の瞳をして。
あの人と同じ、柔らかい金茶の巻き毛と、人を射抜くような強い、琥珀色の瞳をして。
彼はあの人じゃないと、分かっていて。
止まらない自分の腕のなかで、初めて人の手に堕ちた、若い獅子が啼いた。
窓に打ち付ける雨は、いつの間にか霙に変わっていた。
口淋しいなんて、馬鹿な
「シュラ、もう終わりにしようよ」
そう云った彼が泣いて、後ろ姿を見せて去っていくのを見送る。取り残された自分は涙ひとつ零せず。
日焼けしていた細い肩が褪めていくのを肌を合わせながら味わった、短い冬が終わる。
「寒いな…」
同衾者のいない冬の夜は長くて。気がつけば、趣味のギターを弾く合間にも、ひっきりなしに煙を吸うようになった。
(誰かみたいだな…)
と、腐れ縁の男の顔が思い浮かんで、自嘲する。その誰かにも最近は、ほとんど会っていない。
(あれと逢うときには、ほとんど吸わなかったな…)
意外にも喉が弱く、シュラが近くで煙を吸うだけでひどく咽せた、あの人の弟を思い出す。
『吸わないで。シュラの体にだって悪いよ…』
自分の前では吸わない山羊座から、煙草の匂いがすると、彼はそう言って、自分に懇願した。
目を閉じて、吸い込んだ煙をゆっくり吐き出すと、瞼の裏にあの、真っ直ぐな琥珀色の瞳が浮かんだ。目を開けて、窓の外を見ると、日の薄い冬の空に、雲が立ちこめている。十二宮の頂に近いこの宮。ここから少し下っただけの、あの若い獅子の傍はいつも、太陽の匂いがしたと思う。
(どちらにしろ、もう終わったことだ…)
シュラは、手元の煙草を数えて、これを吸い終えたら、全て終わりにしようと思った。
「シュラ、良いか」
六弦の傍らで本を読んでいたシュラは、聞き知った声に呼ばれて、我に返った。いつもはずかずかと断りなく入って来る蟹座の男が、玄関先で呼んでいたのだ。
耳の良い山羊座は、読みかけていた本にしおりを挟んで、ソファのサイドテーブルに置いた。
「よぉ…」
山羊座が迎えに出ると、蟹座は、融けかけの雪を払いながら、佇んでいた。
「…お前」
ずぶ濡れじゃないか、そう言おうとしたが、蟹座に遮られた。
「悪ぃ、時間がない」
そう言って、迎えに出た黒髪の山羊座の、白肌に映える、赤い形の良い唇に、噛み付くように口づけてくる。
(おい…)
冷たい唇。初めてのときからそうだが、デスマスクとの行為はいつも突然始まる。
絡み合う舌。息をつく暇もなく、角度を変えて何度も貪る、お互いの口腔の味。
糸を引く唾液。上がる呼吸。
「っ、…お前、」
中に入って乾かしたらどうだ?と、漸く唇を解放されて、声をかけようとすると、デスマスクは再び遮った。
「時間がねぇんだ」
微笑うデスマスクの、どことなく冥い眼。
「足りるのか?」
シュラも、唾液でべとついてますます赤みを増した唇を微笑の形にした。
「まぁな」
口淋しかっただけだと、デスマスクは嘯いた。
「馬鹿か?」
シュラは、唾液で汚れた唇を拭いながら言った。
「ご馳走さん」
背を向けようとしたデスマスクに、シュラが懐から取り出した赤い箱が飛んで来る。
「10本以上あるはずだ」
それでも吸っておけ。シュラはまた、赤い唇の端を少し上げて、微笑の形を作った。
「泣けるね」
自分とは違う、仄かに、甘い香りがするシュラの銘柄の煙草。自分の煙草を吸うだけでは口淋しいときには。そういう意味だろう。
「続きは、またな」
お前に貰った煙草が切れる前に、必ず。蟹座は磨羯宮を後にした。
突然の来訪者の去った磨羯宮では、最後の煙草を手放した山羊座が居間に戻り、六弦に手を伸ばしていた。
十二宮の階を下りながらデスマスクは、早速一本目に火を点ける。さほど愛煙家ではないシュラが、事後の寝台で燻らせている、あの、仄かに甘い香りがした。
身体に染み付いた匂い
訓練場の帰り道、巨蟹宮を通り抜けようとするシュラの視界に、階に踞る、主の姿が映った。
「…おい」
手を差し伸べようと近寄った山羊座に、顔を上げた蟹座の頬は蒼白で。にも拘らず、薄笑いを浮かべていた。
「大丈夫か?」
肩を貸そうと懐に体を入り込ませる山羊座に、デスマスクは素直に凭れる。
「来てくれたのね…v」
嬉しいわ。半笑いでしなだれる蟹座から漏れる吐息に、山羊座は顔を顰めた。
「お前、酔っているのか?」
「まあ、そういうなよ」
今気づいたのかと、シュラの相変わらずのずれた反応に驚きつつ。
「まじに気分が悪ぃんだ」
また、蒼白な微笑みを浮かべた。
デスマスクを寝台に寝かしつけて、シュラは彼の枕元で待っていた。少し落ち着いてはいるが、万一吐いたら困ると、心配だったからだ。
(…ここに来るのも随分久しぶりだな)
死霊の物々しい気配をものともしない彼は、ぼんやりと考える。蟹の方からやってくるのが当然のようになっていたからだ。
「…付いててくれたのか」
目を覚ましたデスマスクは、寝台に腰掛けて窓の外を見る、黒髪の男を見つけて訊いた。
「ああ…」
素っ気ないシュラの返事に、相変わらずだなと苦笑して、そろそろと体を起こす。
少し寝た所為か、気分は随分ましだ。
「あいつに、会いに行けよ」
俺は多分もう、大丈夫だから。嗾けるように言って。
「それとも…」
と、傍らで自分を振り返った山羊座の首に腕を搦めて、接吻をした。
「…ッ…」
デスマスクは、軽い抵抗を見せたシュラの機嫌を取るように優しく触れて、その髪や首筋を嗅いだ。
「…おい」
自分から仕掛けた接吻を制止するように声を上げたデスマスク。
お互いの手が下半身にのびる頃に。
「どうした…?」
ある種憮然とした表情を浮かべて、お預けを食らったシュラは情人の赤い瞳を見る。
「乳臭ぇ、餓鬼の匂いがする」
冗談めいた口調。自分の身体から漂う紫煙は勿論、酒や、白粉の匂いさえも棚に上げて。
「……」
咄嗟のことに反応出来ないシュラは、顔を強張らせた。
「冗談だよ、エロ山羊」
何て顔しやがる。デスマスクは、顔の上に覆い被さった、山羊座の黒髪を梳いた。
「…いつから吸うの止めたんだ?」
「……」
シュラは、無言でデスマスクを振り払った。どうして良いか、分からなかったからだ。
「おい」
デスマスクは、もう一度シュラの肩を掴もうと手を伸ばす。
「シャワーに行って来る」
「行くなよ」
デスマスクは、立ち上がろうとするシュラの腰に抱きついた。
「何なんだ…!」
立ち上がろうとした途端、腰を捕まえられ、縺れ合うように寝台に引き戻される。
デスマスクの真意を量りかねて混乱するシュラは、声を荒げた。
「来いよ」
続きをしようぜ。自ら組み敷かれたデスマスクは、シュラに囁く。
「匂い、消さなくていいから…」
その、腕を唇でなぞって。
忘れなくていいと、そういう意味だ。
お互い貪り合って、翌朝目覚めると、巨蟹宮の窓の外には十二宮の麓が見えて。
「吸うか?」
暁の仄暗い光のなかで、煙草を吸っていたデスマスクが、起き上がってこちらを見つめるシュラに気づいて訊ねた。
「いや…止めておく」
断ったシュラに、デスマスクは窓際から歩み寄ってきて、寝台の上に座るシュラの、裸の胸元に、唇を寄せた。
「…終わったんだ」
何が、とは言わないシュラの肌を、ふうっと、体に寄せられた唇から吐き出された煙が撫でて。シュラは、これからも自分の躯からは、この男の匂いが染み付いて離れないのだろうと、漠然とした直観を持つ。
「寒いな…」
呟いた冬生まれの山羊座の男に、蟹座は小さな微笑みを浮かべて。
何も言わない蟹座の背の、朝焼けを待つ空には、おそらく今年最後の、粉雪が舞っていた。
何年そばにいても見えない
お前と
一言も交わさずにそばにいる
思えば
睨み合うのも抱き合うのも
いつも紫煙のなかで
確かなのは
変わらない黒い瞳と
こうして合わせた肌の温もりだけ
そしてまた
新しい冬が来る
2008/1/12, Rei @ Identikal
獅子乙女でお得意の相聞歌スタイルを蟹山羊蟹でやろうとしたら、合わなかったようです。
ええ、完全な敗北です。
雪辱戦「こなゆき」とセットでお楽しみ下さい。
ヘビースモーカー五題
リライトさまよりお借りしました。
仏語titleは14世紀仏蘭西の音楽家Solageの曲、"Fumeux fume par la fumee"から取りました。
"Dans la fumeux fumee"=「曖昧な煙のなかで」というような意味です。