「あいつ見つけるには先にお前見つけたほうが早いんだよ」
それは優秀な双子座が聖域から消えて未だ間もない、或る午後の出来事だった。
「デスマスク、シュラを知らないか?」
階の途中で、法衣姿のアフロディーテが訊いた。類い稀な美貌と従順な性格で年上の者に愛されるこの年下の同僚を、デスマスクは冷めた眼で見ていた。
「俺も見ていないが…。何の用だ?」
訝しげにきく蟹。サガに懐いて離れたがたなかったアフロディーテは、サガが突然いなくなった後、それまで以上にシュラに甘えていた。
「教皇猊下の所にお召しなのだが、教皇宮にも自宮にもいないのだ」
教皇が何故。という疑問が、デスマスクをますます怪訝な表情にさせる。
「ふうん」
黙々と、淡々と。シュラは大抵、ほとんど鬱陶しいほど熱血な訓練馬鹿の射手座に引っ付いて、訓練をしていた。消耗の激しい(無駄の多い)射手座の訓練に付いていけるのは、彼くらいのもので。
(…大方、またあの筋肉馬鹿と汗でも流してんだろ)
あの馬鹿らしいや。と、思う。
「私の方でも探すが、見かけたら声を掛けてくれないか?」
強気なアフロディーテの命令するような語気の口調。年下のくせに。デスマスクは内心、面白くなかった。
「ああ」
いいぜ、多分嫌でも目につくと思うし。デスマスクは、そう云いかけて止めて、後ろ手に魚座に別れを告げると、階を下り始めた。
いつの頃からか、あの金茶色の髪をした大柄の少年の陰に、あの細身の少年の、黒い瞳を探してしまうようになっていた。いつかの夕暮れに、いつもは無表情な彼が、幽かな微笑みを見せた、あのときから。
(また、笑わねぇかな?)
出会う度に僅かに期待を持つ。あの仏頂面を、突き崩してやりたい。笑ってくれないのなら、泣かせてでも。
(って何か俺、おかしなこと考えてねぇか…?)
あいつを泣かせたいなんて。
(…あの筋肉馬鹿が許すはずもねぇし)
自分のなかから、何だかもやもやした感情が溢れ出すのを感じて、デスマスクはこのことは考えないようにしようと、気を換える為に立ち止まって、首筋を鳴らした。
「おい、アイオロス」
階の途中で伸びをしたデスマスクの視界に、金茶色の髪をした、大柄な少年の姿が飛び込んで来た。
「おう、デスマスク、俺に何か用か?」
弾けんばかりの笑顔で、階の向こうから自分に手を振ってくる。それなりに離れたところからなのに、大きな声。
「お前じゃねえよ」
ぼそりと呟いた蟹座の視界の端に、彼が探していた黒い影が現れる。
(…あいつ見つけるには先にお前見つけたほうが早いんだよ!)
大方の予想通り、彼らは一緒だったのだ。
「シュラ」
蟹座は、いつものように射手座の陰に控えている、黒髪の少年を呼んだ。
「シュラ、教皇が呼んでるって、伝言」
呼ばれた少年はすぐには返事をせず、様子を伺うように、射手座の方を見た。
「…ああ」
こっちに用だったのだな、と射手座は頷いて。
「シュラ、行っておいで」
そして、表情を強張らせた山羊座の黒い瞳に、微笑んだ。
「…分かりました」
漸く、射手座の陰から山羊座の少年が外に出る。黒髪が揺れた。
「わざわざ探しにきてくれたんだ。デスマスクにもお礼を言っておきなさい」
「はい」
不本意そうに離れていく痩せた少年を嗜める、年長者の言葉。それに素直に従う少年。
(ふざけやがって…)
感謝される立場の蟹座は、何故か面白くなかった。
「…デスマスク、わざわざ済まない」
階を上り始める前に、シュラは蟹座の同僚に、軽く会釈をした。それは、綺麗な身のこなしで。
「あ?…おお、お疲れさん」
蟹座は、我に帰って始めて、思わず見蕩れていたことに気づく。
「ああ、お疲れ」
階を上り始めた山羊座が、少し振り返って。こちらへ、微かに笑った気がした。
「デスマスク、シュラを頼むよ」
不意に、アイオロスが言った。
「俺に、何かあったら…」
つい先程までの笑顔は消えて、真剣な口調で。
「どういうことだ?」
(何、言ってんだ…?)
突然の言葉に戸惑いを隠せない蟹座に、射手座は繰り返した。
「彼は真面目すぎて、脆いところがある。…彼を、頼むよ」
もし、俺もいなくなったら。と、そう続けるのが自然なような文章。気がつくとデスマスクは、先頃消えてしまった、年長の双子座を憶い出した。
「置いて行くなよ…」
お前まで。喉元まででかかった言葉は、結局声に出来ず。不安そうな眼で自分を見上げたデスマスクに、アイオロスは微笑って見せた。
階を上るシュラが足を止めて来た道を振り返ると、デスマスクとアイオロスが何か話しているのが見えて。
階から見える山並みの向こうに、三人を見つめながら、陽が、沈もうとしていた。
Feb~Mar 2007, revised Apr 2008, Rei @ Identikal