ここにいるよ

〜獅子乙女10連作〜




いつの間にかそばにいたお前と、

もう、そばにいるだけじゃ物足りない。


「ここにいるよ」

気がついて欲しい。

そう、俺はきっと、ずっと前から…






01 instant happiness



 朝起きて手櫛で髪を梳こうとしたら、付けっ放しにしていたブレスレットが髪に絡まった。

「痛い…」

誰かがここにいたら当たり散らしてやりたい。と、身体をベッドに叩き付けて、頗る不機嫌に二度寝体勢に入る。


 「シャカ!」

そんなとき、玄関先で(大)声が聞こえた。宮の入り口からかなり距離のあるこの寝室まで響くその声は、明らかにとんでもない大声である。幼馴染みの獅子座が、仕事に迎え来たのだ。

「馬鹿獅子…」

不貞寝を妨げられた乙女座は、ますます不機嫌になった。



 「おはよう、シャカ」

いつの間にか獅子座は寝室まで入って来た。シャカの機嫌が悪いことなど、知る由もない。挨拶の返事がなくてもめげず、不貞寝している幼馴染みの背中に、声を掛け続ける。

「そろそろ行くぞ!」

「…ゆかぬ!」

完全に八つ当たりの不機嫌をぶつけられても、馴れっ子の獅子は、動じない。

「どうした?」

シャカの寝台に腰掛けると、髪を撫でながら、優しく訊き返した。

「頭が痛いのだ」

「片頭痛か?」

シャカは、風邪を引かない。アイオリアはあえて、訊かなかった。

「…違う。髪が…」


 「分かった。俺がなんとかしよう」

アイオリアはごつい手には不似合いな優しい手つきで、まずシャカの腕からブレスレットを外し、器用に絡まった髪を解いた。

「ほら、ブレスレット」

アイオリアはシャカの背中越しにブレスレットを手渡す。

「…すまぬ」

シャカは、瞳を開けて、その、お気に入りの銀のブレスレットの無事を確かめた。


 「相変わらず、綺麗な髪だな」

アイオリアは引き続き、シャカの髪を梳いていた。シャカの豊かな金髪は、獅子座の誇りでもある。

「まだ、着けてくれてるんだな」

銀のブレスレットはもう何年も前、アイオリアがインドに来た折に買ってくれたものであった。

「…着けていては駄目かね?」


 「駄目じゃない。嬉しいよ…」

髪を梳き終わったアイオリアは、背中越しにシャカを抱きしめて、金色の髪に、顔を埋めた。


 「もう、登庁の時間だろう?」

シャカが腕のなかで言う。

「もうちょっと、こうしていたい…」

あと、一分でもいい。束の間の幸福を、もう少しだけ。






02 君の声が僕を呼ぶから



 「なあ、シャカ」

「何用だね」

「……」




 「シャカ…」

「何だ、言いたいことがあるのなら言うが良い」

「……」



 …名を呼んで、その肌に触れたいと、伝えられれば良いのに。



 …云えない。



 「馬鹿獅子、どうした、何を黙っている」

いつも構われたがりの獅子の、突然の沈黙に耐えかねて、シャカが訊いた。

「…何もないから黙ってるだけだ」




 「君が何も言わないと、変な感じがする」

「……」

何かとまとわりついてきていた獅子の様子が変わり始めたのは、いつの頃からだったか。



 …子供じゃないんだ。それでも。



 「なあ、シャカ」

「ああ、この感じだ」

いつものように獅子が甘えた声で、乙女座を呼ぶ。シャカは、ふうわり笑った。






03 繋いだ手と染まる頬



 今更照れるような仲じゃないと思っていた。

 気がつけば一緒にいた幼馴染み。



 でも…

 俯いて、繋いだ手を握り返すお前はこれまでと違って見えて。

 気がつけばお前と繋がれていない方の手が、お前の頬に、触れたがっていた。


 

 「…触れて良いか?」



 許しを求めると、目の前の幼馴染みは静かに頷いた。

 沈黙のなか、金の髪が揺れる。

 


 その、長い髪をかき分けて滑らかな頬に触れると、白い頬は、朱に染まった。






04 しあわせのためいき



 思ったよりずっとやわらかかった、あいつの手のひらの感触を思い出す。



 「はあっ…」

思わず大きな溜め息が漏れて、アイオリアは口を覆った。嫌な奴に見られたと思ったが、もう遅い。


 「でかい溜め息だな」

からかうデスマスクの口調は遠慮がない。

「…あいつのことか?」

耳元に唇を寄せて囁く。

「ッ止めろ…」

デスマスクの不意打ちに仰け反る獅子の、いつになく敏感な反応に、デスマスクは図星を悟った。

「…分かりやすい奴」

デスマスクはにやにや笑いながら獅子の頭を撫でた。


 「で、どこまでイったんだ?」

あくまで弟分の気安さから軽いのりで訊いてくる蟹座に、獅子は軽く項垂れた。

「デスに報告できるほどじゃないよ」

獅子の様子に、常識人のデスマスクはそれ以上突っ込まないことにする。



 秘密にするのが苦手なあいつのことだから、コトが成ったら黙っちゃいられないだろう。訊かれたくなさそうだし、深追いはしない。そう考えながらも。

「にしては、やけに幸せそうな溜め息だったけどなあ…」



 獅子を後に残して去りながら、そういう方面の敏さにかけては自信のあるデスマスクは、首を傾げた。






05 額を寄せて囁く言の葉



 唐突だとか血迷ってるだとか、散々自嘲の科白を考えて、思いとどまろうとしている。

 俺の気持ちがもし言葉になるとしたら、お前はなんと云うだろうか。


 言葉が出てこないよ。

 きっと、今お前に向き合ったらただ名前を呼んで、食らいついてしまうだろう。


 「好きなんだ」

 ああ、そんな言葉でこの想いを吐き出してしまえるなら楽なのに。



 決まらない俺は、お前と額を寄せて途方に暮れている。

 お前は、俺の気持ちが分かると云う。



 こうして、二人じっと、汗ばむ額を、寄せているだけで。



 「俺は、ここにいる」

 せめて、俺がお前のそばにいることを、感じていて欲しい。 



 神様、俺たちは今も、ここにいます。






06 触れる指に涙が出そう



 「莫迦、触るなッ…」

頬に触れた指を振り払おうとするシャカは、瞳に涙を溜めている。

「おい、泣くほど厭がんなくても良いだろう?」

アイオリアは負けじと力づくで抱き寄せて、腕のなかの人の、目尻の涙を拭った。



 触れられた部分が、ひりひり、焼け付くよう。



 「泣くほど、厭なのか?」

先ほどの辛抱のない性急さとは裏腹に、心配げに訊く獅子の自信なさそうな表情。シャカを抱きすくめていた腕の,力が抜ける。

「馬鹿獅子がッ…」

シャカは、離れようとする臆病な獅子の身体を、自ら抱き寄せ返した。



 「シャカ、やりたい…」

指が触れるだけで、その想いが伝わるのだ。アイオリアはシャカに身体をすり寄せてきた。



 「…馬鹿獅子」

シャカは呆れたようにその金茶色の髪を撫でた。






07 ふりそそぐのはやわらかなひかり



 小さな頃から,気がつけばそばにいた。

 叱られた夜には抱き合って眠ったこともあったし、堪え難い悲しみはそばにいれば乗り越えられそうな気がした。



 暗闇に浮かび上がる、平らな胸板と滑らかな白い肌を撫でて,躯に染み付いた薫香を嗅ぐ。

 背中から抱きしめる自分をさやさやとくすぐる金色の髪をかき分けて、項に接吻をする。



 「本当に、良いのか?」

「今更訊くことかね?」



 目を閉じたまま腕のなかで振り向いた幼馴染みは、獅子の金茶色の髪をわしゃわしゃと撫でて、その手を背中に回すと、逞しい胸に耳を押し当てた。



 「変わらないな」

変わらない、鼓動。胸に耳を押し当てたまま、乙女座はうっとり呟いた。




 小さな頃から、こうして抱き合っていると、心が、光に包まれるような気がした。

 小さな灯りだけをたよりに、弄り合う。

 今夜も、二人にふりそそぐのはやわらかいひかり。





08 覗き込む瞳は近すぎて



 「なあ、シャカ、こんなときくらい眼を開けてくれよ」

無理を云うな。と、言い返せない。



 きっと、覗き込む獅子の翠の瞳は、近すぎて焦点が合わないだろうと思う。

 馴れた腕のなかで、汗ばむ身体。



 「シャカ、綺麗だ…」

嬉しいはずの言葉が、焼け付くようだ。



 恐る恐る、眼を開ける。

「……」

声が出ない。



 目が、眩む。

 覗き込む瞳は、近すぎて。





09 ゆるりほころぶゆめうつつ



 抱かれた後の身体は他人のものみたいに感じる。



 そう、ゆめうつつのなかで獅子に告げると、獅子は

「お前が元に戻るまで、俺が抱いてる」

と、隣に横たわる華奢な乙女座の躯を、抱きしめた。



 躯に染み付いた精液の匂いは咽せるようで、何も考えられないまま、再び眠りに墜ちる。



 真夏の太陽はいつの間にか高く昇り、窓から二人の幼馴染みを照らす。

 きっと、外はもう、じりじりと灼ける暑さなのだろう。



 「目は覚めたか?」

優しく訊ねる獅子の腕枕に、乙女座は頬をすり寄せる。

「醒めたくはないのだが…」

気怠げな調子でそう云った乙女座を抱いて。朝寝坊を決め込んだ後朝は過ぎていく。






10 背中の体温がすべてでした



 「馬鹿野郎、だから言っただろうが…」

アイオリアはシャカの細い素脚を腕にしっかりと絡めとりながら、巨蟹宮の入り口の石段から立ち上がった。

「お前、酒弱いんだから。いい加減自分の限界分かれよ…」

背中で揺れる金色の髪が一歩ごと、その身体を支える逞しい腕を撫でる。デスマスクに嗾けられるまま飲み続けて、シャカはすっかり潰れてしまったのだ。


 「今日はここまでで良いか?」

もう直、獅子宮に着く。背中の乙女座は言葉は返さず、静かな星空の下ただ、静かな寝息だけが聞こえた。



 酒臭い背中の幼馴染みを振り返ると、来た道の空に、南十字星が見えた。



「夏も終わるな…」

いつの間にか昼の残暑は去り、涼しい夜風が吹いている。



 それでも、背負った乙女座の触れている部分には、汗が滲んだ。






「ここにいるよ」と君は云うが、

そんなことより前からそばにいたと、

思わないかね。


ああ、

「ここにいるよ」と

繰り返す君の声が聞こえる。






Reiです。

獅子乙女夏祭り開催おめでとうございます。

わかりにくくて申し訳ありませんが、一応幼馴染みの獅子と乙女が両想いになるまで(獅子が強行突破するまで)のお話のつもりです。

主催者のG2さま、読んでくださった方々、ありがとうございました。


空詩さまより

「そばにいる、十題」をお借りしました。


2007/8/6 Rei @ Identikal