ハルノアシタ



時は春


春は朝


朝は七時



 「ほら、バカ蠍、いつまで寝てる気だ!」



俺を呼ぶ、低いよく通る声


煎れたての珈琲の香り


新聞をめくる音




 「カノン!」

一秒でも早く逢いたくて居間に駆け込んだ俺を嗜める彼の声。

「早く起きんか!サガが待ってる」

一体恋人と兄はどっちが大切なのだろうと思わせるいつもの発言も、最早ちっとも気にならない。

「俺の所為にして良いから、さ?」

赦して?と、膝の上に飛び乗って接吻を強請る。これがないと始まらない。

「バカ…」

と憎まれ口を叩きながらも接吻をくれるのもいつものこと。

「…ほら、行くぞ」

短い接吻の後、俺がぼうっとしていると頭を叩かれる。

「痛っ!」

「否、絶対痛くなかっただろーが。今明らかに反応が遅かったぞ」

ほら、と俺を膝から降ろして歩き出す彼の背中を追う、顔がひとりでににやけてしまうのは、絶対俺の所為だけじゃないはず。



 勝手に外に出て、先に階を下り始めたカノンを追いかける。日射しは甘い春の匂いだけれど、朝の空気はまだ少し冷たかった。

「待て、馬鹿ノン!」

「バカ、これ以上待てん!」

…復活祭の朝食に間に合わなかったら、あいつがなんて言うか。ぶつぶつ言いながらさっさと下りて行く後ろ姿。薄手の蒼いジップアップの上にジャケット一枚羽織っただけの。



 (やばい…手袋片一方だけ忘れた!!)

走って追いかけながら手袋を履いていて、左側を宮に忘れてきたことに気づく。


 「カノン!待って!」

手袋片一方忘れた、と言うと黙って俺の手首を掴んで自分の方へ引き寄せる彼に、引っ張られながら階を飛ぶように降りていく。

「バカ、行くぞ!」

手袋を履いていない俺の左手を、自分の手ごとポケットに突っ込んで。

「カノン、痛いって」

お前乱暴だぞ。と言うと、口の端で笑って手を離そうとした。

「意地悪…」

「じゃあ、つべこべ言わずさっさと歩け」

手首に戻ってくる柔らかい羊皮の手袋の感触は、憎まれ口を叩きながらも、さっきよりずっと優しい。

「おう!」


 双児宮までの階を急ぎ足で駆け下りる。手を引かれて、彼と同じスピードで。



 時は春、春は朝、朝は七時



 神さま、俺は今日もこの人が大好きです。








2008/3/3, Rei @ Identikal



引用:「春の朝(あした)」ロバァト・ブラウニング(上田敏訳『海潮音』より)

原文はPippa Passes (a dramatic piece, as much play as poetry, by Robert Browning)