Diese Krankheit ist nicht zum Tode.


平等に訪れるもの




 双魚宮の天蓋付きの寝台の上で、アフロディーテが目を覚ますと、窓の外には既に夕闇が、押し迫っていた。今朝方十二宮の階で、此処、聖域を永遠に去ろうとするあの男に、すれ違ったことを、思い出す。

(ミロは、どうしているだろう?)

あの男に心を奪われたまま取り残された、あの可哀想な蠍は。生憎、今日は夜勤だ、が、夕暮れの早い季節だ。

(…この分だとまだ、始業まで時間はあるだろう)

アフロディーテはミロをお茶に喚ぶことを決意して、素早く寝室を出た。



 「アフロディーテ」

美しく逞しい教皇代理が、本日夜勤の魚座の、美貌の聖闘士に、呼び掛ける。教皇宮の大広間の、ピアノの前。

「サガ…」

今朝出て行ったあの男と同じ顔、同じ声、同じ背格好で。

(この人は、知っているのだろうか?)

母の胎内から肉を分かち合った双子の弟が、人知れず聖域を出たことを。


 「そうか…」

双子の兄は淡々と、弟の喪失を受け入れた。その様子は、失踪した張本人の、置いていかれた恋人の様子に似ていると、アフロディーテは思う。諦観、だろうか。

「…ミロは、どうしているか知っているか?」

しばらく間を置いて、教皇代理は弟に生き別れた寵臣の安否を気遣った。

「あの子は、思ったより落ち着いていました」

「…そうか」

二人の間に、沈黙が降り立った。



 スニオン岬で、あの弟を、初めて失った日のことを、思い出す。自らの手で、愛しい弟を、この世から葬り去ろうとした。

 表に出られない宿命だった弟の、唯一の捌け口だったバイオリンだけが手元に残り、十三年。無言のバイオリンケースだけが自分の傍で自分と同じ容姿をした全く別の命を、忘れさすまいとしていた。


 (今回も、あれは、人質を残したまま、命を暗ませたのか)

いつか、生きて逢いみることが出来ないなら、これを形見とせよと。



 ああ弟よ君を泣く、君死にたまう事勿れ


 お前がたとえ、生きていても、死んでしまっても…




 「お前、起きてていいのか?」

夜も更けた頃、磨羯宮の居間に、主であるシュラが入ってきた。命懸けの仕事から今朝方帰還して、死んだように眠っていたのだ。

「ああ、もう十分寝た」

「無理するなよ?」

デスマスクは気遣う。十日に渡る任務中、ずっと寝られなかったことを、何となく察している。

「帰ったとたんに無理させたやつが、何を云う」

「……」

言い返せない。疲労困憊で帰ってきたシュラの、命を確かめるかのように、飛び掛かったのはこの、蟹である。

「…済まん」

謝る蟹。とっても惨めな気分だ。連絡が途絶えていた間中、気を揉んで、眠れない夜を過ごしていたのに。

「気にするな」

冷静に放つ山羊。シュラはいつもこうだ。

(…なんか、すげー淋しいんですけど、俺)

出会ってから十五年、未だに、片恋のような気持ちにさせられる。

「…俺、今日はもう行くわ」

と蟹は、自宮に戻ろうと居間の入り口に向かう途中、シュラの肩を叩きながら言った。

「ゆっくり休め」

「あ、ああ」

とシュラは面食らったように、すれ違っていく蟹の背を振り返る。

「デスマスク?」

蟹は、名前を呼ばれて、内心嬉しくてしょうがない。

「何だ、シュラ」

期待を込めて振り返る。

「ミロは、どうなったか知っているか?」

(…ミロのことか)

シュラは、愛弟子のことを案じているらしい。引き止めてもらえると思っていたので少々がっかりだが、蟹は、シュラと一緒にいられる理由が出来たので、嬉しい。シュラが起きるまで焦れながら、昼過ぎから待っていたのだ。ぴくりとも動かず、自分の腕のなかで死んだように固まってしまった恋人を、起こしてはならないと。



 「…なあ、俺たちもいつかああいう風に、別れるんだろうか」

蟹は、シュラに訊いてみる。自分たちにも双子弟と蠍のような、悲しみが訪れるのかと。

「ああ、そりゃそうだろう」

(…まじ、ですか?)

もう、かれこれ十年も、一緒にいるのに。なんてあっさり肯定するのだろう。

「そ、そうか…」

口が達者な蟹も言葉が出ない。シュラは、いつでも別れられる気なんだろうか?

「ああ、そういうのは誰にでも平等に訪れるものなんじゃないか?」

と、シュラ。読書家のシュラは時々、難しいことを云う。

「…どういうことだ?」

「俺やお前が、死んだりとか…じゃないか?」

「……」

(ああ!)

と蟹。正直、今まで生きていたなかで、一番幸せである。



 ああ弟よ君を泣く


 死が、二人を分つまで。








January~February, 2007 Rei @ Identikal



"Als Jesus das hörte, sprach er: Diese Krankheit ist nicht zum Tode, sondern zur Verherrlichung Gottes, damit der Sohn Gottes dadurch verherrlicht werde." (Joh. 11,4)  : 

イエスはそれを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(ヨハネ11.4)